愛を振りまいたら意外な結果になった…
生きてるだけで
税金とかなんやらでお金とんでくし
したくないことしないといけないし
家族と上手くいかないし
家族養っていかないといけないし
上司や部下からは何やら言われるし
思春期の娘からは避けられるし
きっと
『生きてるだけでいい』
なんてなかなか思えないよね。
でもきっと、大切な人が自分が
生死を彷徨う瞬間がきたら
生きてるだけで素晴らしいのに
存在していてくれるだけで幸せなのに
そこにいてくれるだけでいいのに
そう思うはず。
これは生死を彷徨う瞬間だけのことじゃない。
いつも、今、この一瞬だってそう。
『生きてるだけで幸せ』
そう思える人が日本中に溢れたら
それってとんでもない世界になる。
わたしはそんな世界を創りたい。
あなたが、あなたでいてくれてありがとう。
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こんなメッセージが昨日の夜降ってきたわけで。
(前から思ってはいたんだけど、
心の底から湧き上がる感覚はなくて、、、)
てことで、
どうしたら『生きてるだけでいい』
って感覚が湧き上がるんだろう…
と寝る前にずーっと考えてた。
(もう知恵熱でるんじゃないかってくらい。笑)
で、ふと思ったのが、
『生きてるだけでいい』
なんてことは後から思うことであって、
その前には
『なんか今日幸せだな』
『いいことあったな』
って感覚があってこそのものじゃないかって。
というか、そもそも『生きてるだけでいい』なんてことはその人自身から湧き上がることであって、わたしから強制的に引っ張り出されても嬉しくもないし幸せなんて感じられないだろう。
なんてことを感じていたら、
なんだか絶望感さえも湧き上がってきて。
そこで視点を変えて、ここでできた
何もない日常→(ワンアクションによって)なんか幸せ→今日があってよかった→今日生きていてよかった
この連鎖の中でわたしができることはなんだろう…と考えた。
いや、考える余地もなく
なんか幸せ
ここの部分だけだろう。
なんか幸せ
をつくるアイテムとして、早速
メッセージカードと、花束を購入。
(本当は、もっと大きな花束を予想してたけど
予算の都合で3本…もはや束でもない。)
さっそく、信号待ちのおばあちゃんや、正面から歩いてくるおじいちゃんに「こんにちは」と声をかけてお花をプレゼント。
お花を渡した瞬間、
ニコッ
ニコッ
(写真はサイトから頂きました。
ありがとうございます。)
笑顔がたくさん。
渡した後に振り返ると、
お花をみて嬉しそうに微笑む姿や、
嬉しそうな笑い声がきこえた。
あぁ、幸せだ。
愛を振りまいた結果
わたし自身が
『生きててよかった』って思えた。
完。
いやいや、まさかの感覚。
勝手な想像では
"渡した相手が幸せ〜(*^_^*)"
で終わるつもりだったのに。
でも、そうじゃなくて、
"誰かの為に"で行動することって
実は自分の為でもあるわけで。
愛って、もらうよりも与えたほうが大きくなる
なんて言葉があるように、
自分の中で愛が溢れて、
それを誰かにおすそわけすることで
さらに自分の中に愛が溢れた。
愛を与えることでこんなにも幸せになれるなら
みんな愛を振りまいてたらいいのに。
振りまいて振りまいて、
そこらじゅうが幸せに包まれたらいいのに。
そしたらもっともっと幸せになれる。
もう、これわたしだけのものにしてちゃ
もったいない!!
みんなこれ、やるべし。
やってみたらわかるから。
みんなこれ、やるべし。
(大事だから2回言ったよ)
やる前は恥ずかしくても、勇気がでなくても、
やっちゃえば幸せハッピーランランラン
に勝手になってくれるから。
あぁ、生きててよかった。
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